2012年3月11日(日) 石巻にて
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こんにちは。石森です。
みなさんは、どのようにして3月11日 14時46分を迎えましたか?僕は母と一緒に石巻の実家で黙祷を行いました。

石巻は寒かったものの、空は晴れていました。1年前とは天気が違いますね。

石巻市役所

この日、市役所には献花台が設けられました。

以前から石巻マルシェでお願いをしていた、献花募金のご協力により、こんなに大きなお花を献花することが出来ました。ご協力をいただいた、大勢の皆様、本当にどうもありがとうございました。

このお花は石巻復興プロジェクトのメンバーでもある、はなきさんにご協力いただきました。

立町商店街

献花をしたら、お花をもらっちゃいました。立町商店街の入り口には、ヤマト屋じゃなく、三越が出来ていました。

立町商店街を歩いていたら、数人の知り合いに会いました。なんだか、石巻の街中が知り合いだらけになってきました。この日、1年が経過して、得たものは「大勢の知り合いだな」と心から実感しました。知り合ってくれて、ありがとうございました!

祈りの灯り 希望の灯り

以前から、告知をしていた、行事を見てきました。

会場中央のタイルに様々な思いが記入されて貼りつけられていました。

  • 生きててくれてありがとう
  • 笑顔が戻りますように
  • 一番身近な人を大切にし 命を大切にし
  • 命を無駄にしないよう生きたい
  • 取り戻そう ふるさと石巻
  • まんず、やってみっぺし!立ちあがれ石巻!
  • 命は助かった、生きるしかねぇ
  • 早ぐ自分の家がほしい
  • あの日を決して忘れない


鳩型バルーンにも様々なメッセージが記入されています。


2012年3月11日 18時 鳩型バルーンを、会場に集まった人、全員が一斉に空へと放ちました。

1年

1年が経過しました。終わってもいなければ、現在の復興状況を見れば、始まってもいない。そんな気にもなります。
ここはただの通過点です。もしかすると、始めるための通過点かもしれません。あの日の朝、誰もが、その日に亡くなるなどと思わなかったはずです。そのことを考えると胸が詰まり、息が苦しくなります。もっと、たくさん生きたかった方が大勢いたはずです。パネルに書いてあるメッセージを見ると、その思いが伝わってきて更に胸が締め付けられます。

この1年、怖い思いをし、辛い思いをし、悲しい思いをし。そして、出来る限り2011年3月11日以前に戻すために頑張ってきました。頑張り続けて1年が経過しました。進まないと言われる復興を思うと、個人ではどうすれば良いのやら、考えずにはいられません。
がれきの山を処理しなければ、復興が進まないと、テレビでは言っています。では、なぜ、がれきの山を処理しなくてはいけないのでしょうか?石巻の雲雀野海岸だけを見ても、山積みにされた、がれきを処理しなくては、復興計画となっている、シンボル公園にさえすることが出来ません。そして、被害が大きかった市街地にはまだ、半壊状態の家が残っています。既に、いっぱいと言われている、がれき置き場に更に、がれきを置かないことには復興が一歩でも進まないのです。そして更に、がれき置き場にある、がれきを焼却処分しなくては、この課題の解決にはなりません。

1年の時間の経過と共に、求められる復興支援活動も変わるということを実感しました。
大勢の方が亡くなったことと、大好きだった街が無くなってしまったこと。絶対に忘れません。絶対に、大震災の風化を阻止します。

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