こんにちは!石森です。東京で石巻マルシェの営業を終えてから連休を使って石巻に帰ってきました。東京駅も仙台駅もたくさんの人がいだなぁー。東京はポカポカしていましたが、新幹線を降りるとちょっと肌寒い感じがします。仙台駅から石巻へ向かうバスは比較的、人がすいていました。
仙台石巻間のバスの時刻表 -PDFファイル
ぜひ、参考にしてくださいね。
その他にも、仙台・石巻間の移動手段経路があれば教えてください!
津田鮮魚店
石巻復興プロジェクトの代表の津田氏の鮮魚店に行ってみました。
というのも、前日に石巻マルシェで運営をしていたところ「石巻の津田さんのお店に行ってきました。」というお話をしていただいたので、僕も様子を見に行ってみました。
津田氏のお父さんと、お話をしてきました。
「徐々にもとに戻って来たけれど、復活するには、まだまだだよ。」とお話をしてくれました。
毎日、石巻魚市場から放射線物質測定結果をもらってくるのだそうです。
お魚だけではなく、石巻のおいしい物も置いてありました。
定休日にも関わらず、お忙しいところ、いろいろとお話を聞かせていただきました。ありがとうございました〜。
津田鮮魚店(本店)のお店場所はこちらから!
より大きな地図で 石巻津田水産(津田鮮魚店)店舗一覧 を表示
日和山
石巻の桜の名所と言えば日和山です。
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いつもはない、出店が出ていると、わくわくしますよね。
Wikipediaによると。
鎌倉時代に葛西氏が石巻城を築き、室町時代まで維持された。江戸時代に書かれた地誌によれば、山の名は、石巻から商船が出航する前に、この山に登って天候を観察したことからついたという。参詣のため、風景を眺めるために、登る人が多かった。
「がれきと桜」の一見ミスマッチな風景を見に、大勢の人がきていました。
桜が万開の日和山から太平洋を見下ろした景色です。
被災地には震災後2回目の桜が咲きました。
桜の季節
2年前の桜と今年の桜です。桜は変わることなく咲きますが、街を見下ろした風景は2年前とは全く異なる景色です。
南浜町
日和山から降りて南浜町の様子を見てみました。
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がんばろう!石巻
去年もこの季節には、鯉のぼりがたくさん街の中にありました。
がんばろう石巻の看板が存在している南浜町の現在の様子です。
団地の様子。この団地の中を通るようにして、雲雀野グラウンドへ何度も通いました。今も尚、そのままの姿です。
1年前と変わったのは「日本製紙」の工場が煙を上げて、紙を製造しているところでしょうか。
大量の廃車の山です。写真には収まりきらない量の廃車が、雲雀野海岸には積み上げられています。
大好きだった雲雀野グラウンドに積み上げられている、がれきの山です。
今年も咲いたチューリップ
南浜町を歩いていると、津波で流された家の庭にチューリップが咲いていました。誰かが植えたのでしょうか・・?周囲には雑草も生えていて、1年の時間の経過を感じさせます。津波で流されたものの、地中にあった球根は無事だったかもしれません。いずれにしても、春を待ち望んで誰かが、いつか植えたチューリップ。そんな思いがこの街にはありました。そしてその思いが存在し続けています。春の桜とともに咲くチューリップを植えた人が、いつも日常生活を営んでいました。
僕の従姉の旦那さんも南浜町に住んでいましたが、自宅が流されてしまいました。震災前から何度も通っていた街中を歩くと、街の様子と共に生活をしていた多くの方々の現在が、とても気になります。
南浜町は石巻市の復興計画では
中瀬や南浜町地区の公園については、震災復興のシンボルとして、これまでの石巻市の歴史を継承・発信していく観光拠点として整備を推進します。また、旧北上川の水辺を感じられるような水と緑のプロムナード整備を推進します。
とされていますが、この様子では1年が経過しても状況は変らないと思います。
ここから更に復興を前進させ加速していかなければ1年が経過しても街の様子や生活をしていた人々の状況は変らないと思います。
まだです。まだまだ、復興という言葉からはかけ離れた状況です。1年経ってもまだまだです。
テレビや新聞、雑誌では震災報道が減りました。それは決して復興が進んで被災地が既に平気だからではありません。
今も、大切な人が見つからずに苦しみ続けている人、復興に向けてこの街で頑張り続けている人が大勢いることを、決して忘れないでください。