おばんです。石森です。今週は、石巻マルシェをお休みして、実家の石巻に帰ってきました。いやぁー、いぎなり寒い!!
復興とは?
東京でこんなことを良く聞かれます。
「復興してきた?」
復興はまるで「時が解決」するかのような。待てば、元通りの生活が戻ってくる。そんな思いになってしまいます。
時が解決する部分もあるのかもしれませんが、復興に向けて前進したことは、誰かが何かを頑張ったことだと思うのです。
震災直後の2011年3月26日に市内を自転車で回ってみました。
あれから330日が経過した2012年2月19日に同じ場所の写真を撮影してみました。
330日で誰かが何かを頑張ったこと。
写真から感じ取ってもらえると良いなと思います。
石巻港へ向かう道路
2011年3月26日
震災直後は市内のあらゆる道路が冠水していました。
2012年2月19日
今では、すっかり整備されました。
日本製紙石巻工場
2011年3月26日
海沿いにある工場は大打撃を受けたものの主力機は無事だったようです。
2012年2月19日
煙がモクモクしているのが石巻の風景です。
南浜町
2011年3月26日
日和大橋の位置から、門脇小学校を確認するのが難しいです。
2012年2月19日
整備され、廃車の山が積み上げられています。
湊地区
2011年3月26日
日和大橋より。地盤沈下により、地表と海面と同じ高さになっています。
2012年2月19日
川岸が整備されました。がれきの山の上には「鯉のぼり」があります。
木の屋さん 巨大缶詰
2011年3月26日
日和大橋のすぐ近く中央分離帯に横たわっています。
2012年2月19日
撤去、保存の議論があったものの、保存することに決まりました。
湊
2011年3月26日
ここの道路も冠水していました。向こう側へ渡るのにぐるっと迂回した覚えがあります。
2012年2月19日
道路を高く盛って走れる状態になりました。
内海橋近く
2011年3月26日
船が横になっていました。
2012年2月19日
船は撤去されました。
エッちゃん
2011年3月26日
内海橋を見ることができるエッちゃんのオブジェから。
2012年2月19日
ここも整備されました。
変わるものと変わらないもの
写真で分かることや、感じることは、あくまでもハード的なものの変化が中心だと思います。
がれきの山、廃車の山、復旧しはじめた工場、立ち直る街並み、消える街並み。
一方で、写真からは分からない、たくさんの人たちの頑張りがあります。
600年に一度の大震災に立ち向かい続ける人達がいます。
立町商店街は「石巻工業のセンバツ出場」をお祝いするムードとなっています。苦しい中、街が一丸となって、甲子園へ石巻工業を送り出そうとしています。
立町商店街に並ぶ、市内の中学校の新入学のためにディスプレイされた制服を見て。去年も今年も変わらないであろう、この風景に安心するような気持ちと、ここから先、どうなっていくのだろうか。。という誰も分からない不安な気持ちにもなりました。
個人的には震災は「時が解決してくれるだろう」と思いたくはありません。そう思ったら、震災に対する自分の気持ちの風化が始まったときなのだと思います。
絶対に忘れたくないし、復興を押し進めるために、まだまだ、がんばっぺ!!